今日は私の所属する大阪和服裁縫協同組合による針供養祭が大阪天満宮で行われました。
好天に恵まれ境内は多くの人で賑わいました。
今回は報告になりましたが、折れたり曲ってしまった針は瓶などに入れ溜て置き、針供養祭に持って行きましょう。
全国各地の社寺では2月8日または12月8日に針供養が行われます。
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手縫いに使う針の正式な総称は和針(わばり)といいます。これは明治時代になって定着した西洋文化のものと区別するためです。
因みに和裁もそれまで「きもの」「お裁縫」と言っていたのが「和服裁縫」となり、縮めて「和裁」となっています。
写真中央の包紙が昔から日本で使われてきた針で、私たち和裁士も使っているものです。
一~四の数字で太さや長さを表わしています。
近年は一般の方にわかりやすいように用途を表示したパッケージ(写真右端)で販売されるようになりました。
写真の左端は洋針で「メリケン針」と言います。
私の明治生まれの祖母は小麦粉のことを「メリケン粉」と言っていたのを記憶しています。
洋針が現在も「メリケン針」と表示して販売されているのもおもしろいですね。
運針というと針を持っている右手(利き手)を動かしているようなイメージがあると思いますが、実は左手が動いています。
まず、右手の中指に指皮(指貫)をはめ、針のメド(穴の空いた方)とほぼ直角になるように当てます。
右手はこの状態をキープしながら左手を大きく上下に動かします。
布が大きく動くので、それに従って右手の親指と人差し指が代わる代わる動くことになります。
つまり、主導権は左手にある訳です。
針を持つ右手が優先され、左手がほとんど動いていない運針では
右手に力が入り、針が折れたり、親指や手首を痛めることもあります。
パッチワークのパーツなど小さなものを縫う時も、意識して左手を動
かすようにすれば、疲れずきれいに縫えますよ。
屋外には、さまざまなお店がのぼり旗をいっぱい立てています。
のぼり旗は、古代より祭礼や軍容(ぐんよう)に用いられて来たのですが、布が風にはためく清々しさと、少し離れた所からでも合図を送れることから、広告や啓発用として現在も広く活用されています。
でも、何の違和感もなくのぼり旗を受け入れている私達って、おもしろいと思いませんか。
のぼり旗も着物と同様に、一幅の布の文化が現在まで継承され、古代から続く和の文化が私たちの日常生活に溶け込んだ一例だと言えます。
着物の布幅のお話は終わります。
反物の幅のことを並幅(なみはば)又は一幅(ひとはば)と言います。
並は普通のことですが、「もと」になるという意味もあります。
身体を包む着物は勿論のこと、風呂敷や布団を始め生活の中で大きな布幅のものが必要な時は、すべて縫い合わせて使っていました。
2枚継いだものは二幅(ふたはば)もの、3枚継いだものは、三幅(みはば)、4枚は四幅(よはば)と言います。
また、三布(みの)四布(よの)五布(いつの)と呼称する地方もあります。
図2 敷ぶとん 図3 掛ぶとん
図2は、表裏通しで3枚を縫い合わせている。一反でシングルの敷きぶとんができる。
図3の掛ぶとんは、表地が3枚、裏地は5枚を縫い合わせている。
ふとん屋さんは昔から存在していますが、家族のふとんを作る(仕立てる)のは女性の教養で、和裁の分野に入ります。
ひとり分の着物ができる長さ(約12m)の布を反物(たんもの)といいます。
その幅は約40㎝です。
これは人間の肩幅と同じということです。
時代は紀元前まで遡りますが、世界各地で布を織るために考案された手織り機が図1のイラスト(染織の美 第28号100ページ 1984年京都書院より)のようなものです。
日本では弥生時代頃といわれています。
現在では、機械で3m以上の布幅を織ることができますが、日本の着物は、この布幅の文化を大切に守り続けている世界に誇れる民族衣装といえます。
☆イシチェル博物館はグァテラマにあります。
かねてより準備しておりましたホームページを公開いたしました。
着物のこと、和裁のこと、有益な情報を発信して行きたいと思っておりますので、時折覗いてくださいますようお願いします。